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“紡ぎ手”のストーリー

「居酒屋 隠れ家」今は亡き夫が名付けたお店を続けて早21年-。そこはまるで、実家のような安心感を覚えるお店だった。

ついこの間、友人と連れ立って何の気なしに立ち寄った居酒屋-。それが今回の取材先である「居酒屋 隠れ家(以下:隠れ家)」だ。

美味しいお酒と肴(さかな)を一通り嗜んだ僕は、帰り際に店主に名刺を手渡した。

「あら。私の孫と同姓同名だわ!」

そんなまさかの偶然から意気投合し、トントン拍子で取材日程が決まったのだった。

今回は皆さんに、隠れ家の店主・小林美津子さんの生い立ちや、お店を開業してから今に至るまでの隠れたストーリーをお届けしたい。

高校卒業後に洋裁学校へ―。そしてその後洋裁の先生になる。

美津子さん

—–美津子さんの生い立ちを簡単に教えてもらえますか?

私は、由利本荘市の矢島地域に昭和24年に生まれました。

矢島小学校・矢島中学校に通っており、同級生は約320人ほどでしたかね。全部で7クラスくらいありました。

当時の矢島には分校が7つほどあり、小学1~3年生は分校に通っていましたよ。

中学卒業後は、秋田和洋女子高等学校(現在の秋田令和高等学校)に進学しました。

—–高校卒業後の進路を教えてください。

高校を卒業した後は洋裁学校の『洋裁科』に進学しました。高校卒業後にやりたいことが特になかった私に対して、「花嫁修業として洋裁学校に進学するのはどう?」と親が勧めてきたのがきっかけでした。

でも私、最初は洋裁が嫌いだったんです。最初の1年は嫌々やっていたし、結構サボっちゃってましたよ。

当時のサボり友達5~6人と本荘公園に行っては、芝生の上に寝そべって青空を眺める日々を過ごしていました。

でもある時、ふとこう思ったんですよ。

「嫌いだと思って真剣に取り組んでない洋裁が実は自分に合っているんじゃないか」って。

不思議なことにそれから洋裁に夢中になり、日々の授業に真面目に取り組むようになりましたね。

—–真面目に取り組むからこそ見えてくる景色というものがありますよね。洋裁学校を卒業した後の進路はどんなものでしたか?

最初は、東京の洋裁学校に入学するつもりだったんです。洋裁をもっともっと学びたかったんですよね。

ただ洋裁学校を卒業する時に、当時の先生から「ここの先生にならないか?」と打診されました。色々と迷った結果、先生になることを決意しました。

ただすぐに先生にはなれないんです。先生になるためには『洋裁科』での2年間を終えた後に『師範科』で1年間学ぶ必要があったんです。

これがまた勉強がなかなか大変で…。根を詰めすぎた結果疲労で倒れてしまい、当時開催されていた大阪万博に行けませんでした。こればっかりはとっても悔しかったですね…。

—–大阪万博は来年リベンジしましょう。その後は洋裁の先生になれましたか?

21歳で無事に洋裁の先生になれました。その後31歳まで洋裁学校の先生として働いていましたよ。

また先生として働いている間に、元自衛官だった夫とお見合いで出逢って結婚しました。

洋裁学校を退職した後に洋裁店を立ち上げる。

美津子さん

—–31歳で先生を辞めた後について気になりますね。

洋裁学校の先生を辞めた後に洋裁店を立ち上げました。これまでに身につけた知識や技術を生かし、オーダーメイドの服作りをやっていましたね。

また既製服・小物類・生地を取り扱う洋品店を母親が隣でやっていました。

ただ洋裁店の経営はとても忙しく、子供との時間を十分に確保できなかったんです。

「子育てに専念しないといけない!」と思い、開業して8年目にお店をたたんじゃいました。

それから8年ほどは子育て業に励んでいましたよ。

—–子育てとお店の経営を両立するのはとても大変そうですね。幼い頃の子供と一緒に過ごす時間は貴重だと思います。

とても貴重ですね。8年の間に子供がすっかり大きくなり、育児にあまり手がかからなくなりました。その頃からは、主婦友とよくランチに出掛けるようになりましたね。

ただそんな日々を過ごしていたある時、ふと思ったんですよね。

「主婦友と食べ歩くような生活をこれからもずっと続けていいのか?」と。

「母親は遊び歩いていた」と子供に思われたくないという気持ちもあり、一念発起して働くことにしたんです。

—–洋裁店を再度立ち上げましたか?

いえ、普通に勤めることにしました。職探しをしていたところ、新聞広告に掲載されていたとある求人に目が留まりました。

それは紳士服のコナカの求人でした。当時の私は46歳であり、求人広告に記載されている18~45歳という対象年齢からは外れていました。

ただ、服飾に深く関わってきている私の経歴的にいけるだろうと踏んで駄目元で電話してみたんです。そしたら「まずは面接を」ということになり。

結果的にすぐに採用してもらい、それから約8年働きましたね。

コナカを退職後、夫と共に「居酒屋 隠れ家」を始める。

美津子さん

—–コナカを退職した後について教えてもらえますか?

コナカを退職後に、夫と共にこのお店を開業しました。もともとは人に貸していたスペースだったのですが、丁度そこが空いたので改修して開店しましたね。

隠れ家と言う名前は夫がつけました。

「どんな男性にも、小さな頃には隠れ家(秘密基地)があった。そんな人たちが心地良く過ごせるような場所にしたいという思いを込めてこの名前にする」と言っていたのを今でも覚えています。

開業当時のこの場所は住宅街だったのでまさに“隠れ家”だったんですよ。でも今は、周囲が駐車場になったもんだから丸見えになっちゃいましたね。

—–僕にもかつて隠れ家があったのを思い出してしまいました。開業してからは順調でしたか?

お陰様で順調でしたね。ただ開業して4年目に差し掛かった頃、夫が食道ガンになっていることが分かりました。発見された頃には既にステージ4で余命1年を宣告されました。

その後夫は亡くなりました。隠れ家を開業してから今年で21年目。夫が亡くなってからは17年目ですね。

—–二人三脚で長年歩んできたご主人が亡くなって大変だったかと思います。また美津子さんの料理がとても美味しいのですが、どこかの飲食店で修業などをしましたか?

実は、お店での修行は全くしていないんですよ。

義母が厳しかったんですよね、料理に。義母のお陰で料理の腕が上達しました。

嫁いだ当初は目玉焼きしか作れなかったので、夫と義母に叱られっぱなし。本当に大変でしたよ。

義母が料理をしている姿を半年ほどひたすら観察し、飾り付けの仕方や魚のさばき方など必死に学びました。

ある時家に帰ると、大量のアジが台所に置かれていたんですよね。そして義母に「三枚おろしをしなさい」と言われました。

成功するまで何度も何度もやり直しをさせられましたよ。あの時はさすがに泣いちゃいましたよね。

“まるで実家にいるかのような安心感”こそ、隠れ家の大きな魅力だった。

美津子さん

—–ここを訪れていつも思うのですが、“まるで実家にいるかのような安心感”がありますね。

そこは私も意識しています。“家っぽさ”を重視した店作りをしているんですよ。

ここに来るお客さんたちが、家飲みをするように気楽に過ごせたらいいなって。

以前、メニューを書いた木札をお店に取り付けようとしたところ、とあるお客さんに止められたんです。

「木札のメニューは店っぽさが出てしまい、この店の魅力が損なわれる」って言われましたよ。

—–お客さんのアドバイスをしっかりと取り入れているんですね。客層はどのような感じですか?

1人で来る女性客が意外に多いんですよ。それも20~70代と幅広い年齢層の女性が。

「若者が多い居酒屋で1人で飲んでいるとどうしても目立っちゃう。だけどここだと周りを気にせず気楽に飲める」と言ってくれますよ。

それと20代の男性たちは定期的に遊びに来てくれますよ。なんせ私が1人で切り盛りしているもんだから、忙しい時は勝手にお酒を入れて飲んでもらっちゃってます

アドリブで料理を作る時もありますね。

隠れ家の座席
隠れ家の座席
隠れ家の座席

お酒が置いている棚
コップが置いている棚
ボトルキープの棚

ボトルキープの棚
コップ
隠れ家の内観

—–このアットホームさが唯一無二の隠れ家の魅力だと思います!

自分で勝手にお酒を入れられる居酒屋なんてありませんもんね。

あとは私、メニューにもこだわっています。コシアブラやゼンマイなどの山菜や、海ブドウのような珍しい食材を使った料理を提供していますよ。

昔は、サザエのつぼ焼き・フグの子粕漬・マテ貝・フグの白子焼き・牛タンの味噌漬けなどもやっていましたよ。仕入れ値が高いので最近はやってないんですけどね。

そばサラダ
隠れ家の料理
隠れ家の料理

メニュー
定番メニュー
飲み物のメニュー

メニュー
メニュー
メニュー

—–どれもこれもが美味しそうなメニューですね。珍しい食材を今後使う予定はありますか?

もしかしたらですが、鹿肉を使ったメニューを秋頃に提供するかもしれないですね。

—–鹿肉!?大好物です!是非是非出してください!!

決まった時に連絡するので楽しみにしていてくださいね。

—–首を長くして待っています!本日は色々とお話ししてくださり有り難うございました。

「居酒屋 隠れ家」の基本情報

営業時間17:00~23:00(日曜・月曜定休)
駐車場あり(4台)
支払方法現金のみ
電話番号0184-24-2774

今は亡き夫と共に美津子さんが始めた「隠れ家 居酒屋」は、立ち寄る人々がホッと一息つける実家のような場所だった。人の目を気にせず気楽に過ごせる居酒屋は、きっとここだけだろう。

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秋田 縫

秋田 縫

キャンプ・釣り・音楽に目がないアウトドアマン。アウトドア分野のフリーライター・フリー編集者として働く傍ら、ローカルメディアの運営を行う。この街の繋ぎ手となり、紡ぎ手と創り手を繋ぎたい。

秋田県由利本荘市の片田舎で生まれ育ち、高校卒業を機に県外へ。新潟・京都・大阪・東京での学生生活・社会人生活をへたのち、2023年に帰郷する。アウトドア分野を中心としたフリーライター・編集者として従事するかたわら、限界集落での田舎暮らしを謳歌している。 “紡ぎ手”が秘めているこの街の素敵なストーリーを、“繋ぎ手”となって、街の“創り手”である皆さんへ由利本荘の片隅から届けたい。

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